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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第75楽章 ―宗教法人葵幼稚園の可能性―

 第74楽章で、昭和51年3月発行の帯広市史の「幼稚園」の項に葵幼稚園は無認可の幼稚園であると記載されていると紹介しました。これは、間違いではないかと思います。

  葵幼稚園は、昭和39年の4月に「葵幼稚舎」(園児数9人)として開園し、翌昭和40年に「葵幼稚園」に改名しています。以前に作成された葵幼稚園の沿革史には、『昭和40年、帯広源照学園「葵幼稚園」と改組し開園』とあります。園児数は46人でした。園名を改名した時に、法人名らしき記載があるということは、少なくとも宗教法人としての登録はあったのではと推測します。葵幼稚園の開園のきっかけは大然寺というお寺の檀家の子弟の教育にあったからです。無認可のままで良いのであればわざわざ「帯広源照学園」とする冠は必要ないと思うのです。昭和51年発行の帯広市史の「幼稚園」の項には、宗教法人名の幼稚園も多く紹介されています。葵幼稚園は、その事例とも区別されています。もし、この項にある「〜三十九年以降、学校法人組織以外は認可しないという道(国)の方針〜」というのであれば、やはり、葵幼稚園は宗教法人ではなく無認可だったのかとも思うのですが、残念ながらそれを証明する資料は残っていません。内部的にはこの解釈が正しいとしています。

  それにしても、やはり帯広市史は間違っています。この市史の発行は昭和51年です。葵幼稚園が、北海道知事から許可がおりて、めでたく学校法人帯広源照学園の経営下におかれるようになるのが昭和49年4月です。よって、昭和51年に発行した帯広市史で葵幼稚園を「無認可」記載することは正しくありません。ただ、昭和49年に葵幼稚園は園舎を増築しています。このことが学校法人格の幼稚園になる条件であったことは推測できます。

 つまり帯広源照学園は、昭和44年に学校法人格を持ち大空町に葵南幼稚園を開園しますが、本来であれば、この時点で先に開園している葵幼稚園も新学校法人下におくのが普通ですが事実はそうはなっていません。その理由は不明です。ひょっとしたら、葵幼稚園の増築までは資金が準備できなかったのかも知れません。昭和44年の園児数葵幼稚園が130人、葵幼稚園は35人です。経営陣も、そもそもの幼稚園の起点となる大燃寺の住職大高徳照氏から民間人である阿部勝治氏に交代しています。二つの幼稚園で165人の園児数では厳しい経営であることは容易に想像できることです。

昭和49(1974)年4月 北海道知事からの認可通知書


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