先ず、昭和62年の十勝毎日新聞の幼児教育に関する報道を見ます。
〇昭和62年03月04日 西帯広に幼稚園 源照学園が新計画設 障害児保育を基本導入 来春開園へ 〇昭和62年03月15日 一年生へ希望胸に 帯広幼稚園で卒園式 〇昭和62年06月25日 わかば幼稚園プール開き はしゃぐ園児たち 〇昭和62年07月17日 楽しい作品並ぶ 双葉幼稚園の陶芸展 〇昭和62年11月15日 園児がお祝いの言葉
わかば幼稚園 創立10周年式典 〇昭和62年12月01日 三歳児保育に行列 幼稚園願書受け付け
以上が、昭和62年の幼児教育等の記事です。 この中で先ず取り上げたいのは、3月4日の「西帯広に幼稚園〜」の記事です。この幼稚園は、源照学園(現葵学園)が新しい『葵西幼稚園』を昭和63年4月に開園するための準備に入ったことを報道しているのです。定員は4クラスで150人としました。当時源照学園は、東地区に葵幼稚園、大空団地に葵南幼稚園を運営していました。総数の園児数は、60年が460人、61年が453人と若干の減少傾向にありますが、特に葵幼稚園の園児数減は避けられないとの経営判断が理事会にあったと伺うことができます。
現に、昭和63年3月には東2条南5丁目にある帯広幼稚園が、50年の歴史を刻んできた東地区から西帯ニュータウンに移転することが決まっていました。そして、西5条南20丁目にあった大谷幼稚園は63年には隣町の音更町に移転をするという激動期にあったのです。
このように、ほとんどの幼稚園が園児数の減少に悩んでいましたから、何らかの策が必要でした。この現実が、市内幼稚園関係者にこれまでの二年保育中心主義から3年保育中心への変更を余儀なくさせたことは間違いありません。そして、この方針変更、つまり2年保育中心から3年保育中心への変更はその後の幼稚園経営に良い結果をもたらすのでした。源照学園だけ見ても、62年の504人が63年には534人と30人の増という結果になっています。
|
|
昭和62(1987)年3月4日 十勝毎日新聞 |
|
昭和62(1987)年12月1日 十勝毎日新聞 |
|