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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第33楽章 ―最も多い卒園児数を記録―

 昭和56年3月、葵幼稚園は158(131)人、葵南幼稚園は173(189)人、合計で331(320)人の園児を小学校に送り出しています。これだけ多くの卒園児数は後にも先にもありません。( )内の数字は前年度、昭和55年3月に卒園した子どもの数です。

  この現象をどう見るかは手元の資料が不足しており正しい分析はできませんが、幼稚園への親の関心が年々強くなっている傾向にあることは確かなのです。それを裏付けるように、例えば帯広ひまわり幼稚園では園児の運動と遊戯の場として総工費5,000万円をかけて体育館をつくるなど、他の幼稚園も園児の教育環境の改善整備への着手が多かったのです。

 また、葵南幼稚園(阿部勝治園長)では、この年に定員をこれまでの320人から25人増の345人(9学級)に変更していますが、実園児数は329人でした。葵幼稚園(阿部勝治園長、大高徳照副園長)は244人です。

 さて、この年の12月1日、市内の15の各幼稚園は翌年度に向けて新入園児の募集を行っています。総数で2,073人の募集です。帯広市内15の幼稚園が行ってきた園児募集記録では最大だと言えます。ちなみに、葵幼稚園は、一年保育45人、二年保育90人、三年保育30人で合計165人です。葵南幼稚園は、一年保育45人、二年保育150人、三年保育30人の225人となっていますが、目標数の確保はそう簡単ではありませんでした。

 この時代は現在のように三年保育が主流ではありませんでした。圧倒的に二年保育の園児募集に力を入れていました。それが、保護者の働き方や生き方の変化で少しずつ変わっていくようになります。その変化は、幼稚園に三年保育の体制づくりの検討を求めるようになるのでした。

 ところで、昭和56年の帯広は空と陸に嬉しい話題がありました。
 今まで帯広市南町にあった空港が、昭和51年に工事着工していた帯広市以平町・泉町地区に移転しています。3月1日午前9時40分、十勝住民待望の一番機がすべるように新帯広空港に着陸すると、中川一郎農林大臣らも出席し盛大にオープンセレモニーが行われました。

  10月1日、帯広―札幌間を約三時間で結ぶ国鉄石勝線がオープンしています。帯広駅と新得駅で華々しく出発式が挙行されました。着工は昭和37年4月25日、実に19年をかけての開通です。総事業費は694億円です。

  もう一つ、楽しい話題を記録にとどめておきたいと思います。 5月19日、グリーンパークに世界一長い400メートルベンチが完成(予算600万円、協力ボランティア5,000人)し、翌年ギネスに登録されました。しかし、歩くと5分かかるこのベンチも、6年後の昭和62(1987)年3月29日できた、石川県富来町の460.9メートルベンチの出現でその座を渡すことになるのでした。

  なお、平成28(2016)年10月23日現在では、2011年8月28日に全長653メートルのベンチが富山県南砥市に完成したことから、帯広の400メートルベンチは日本で3番目に長いベンチになってしまいました。
昭和56(1981)年6月4日 十勝民報


ー帯広葵学園『葵の幼児教育50年史』話題提供のお願いー

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 『葵の幼児教育50年史』に話題提供をしていただける方は、下記メールアドレスまでご連絡お願い致します。

 【宛先】帯広葵学園法人本部宛 honbu@obihiroaoi.ed.jp
 【件名】葵の幼児教育50年史情報提供
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