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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第17楽章 ー市内園児数2,000人超ー

 帯広市市勢要覧によれば、昭和45年5月の市内幼稚園は11園です。総園児数は2,089人で、総学級数も67となっています。2年前の昭和43年は9つの幼稚園、総園児数1,885人、総学級数59ですから急激な伸び率だといえます。再度ここで43年時と45年時の幼稚園を確認しておきます。
 昭和43年の帯広市には9園があり、その総園児数は1,885人です。
  @双葉幼稚園(明治44年6月1日)
  A帯広幼稚園(昭和11年4月1日)
  B帯広藤幼稚園(昭和29年9月16日)
  C帯広聖公会幼稚園(昭和30年6月10日)
  D帯広大谷幼稚園(昭和31年4月1日)
  E大谷第二幼稚園(昭和32年4月19日)
  F柏林台カトリック幼稚園(昭和37年9月10日)
  G葵幼稚園(昭和39年4月1日)
  Hつくし幼稚園(昭和41年11月17日)
 その2年後の昭和45年には4園増え、市内の幼稚園数は13園になります。
  I帯広ひまわり幼稚園(昭和43年1月16日)
  J第一いずみ幼稚園(昭和44年1月11日)
  K帯西幼稚園(昭和44年1月11日)
  L葵南幼稚園(昭和44年1月11日)
 ところが、帯広市の市勢要覧は11園で園児数は2,089人です。2園足りないことになりますが、その違いの要因がどこにあるかは今のところ分かりません。もう少し調べることにします。
                     ※( )内は創設年月日です。
【給食風景】

葵幼稚園 すずらん組(昭和45年卒園アルバムより)
 昭和45年4月から葵幼稚園(園児数186名)がパン給食を初めています。給食と言っても今のようなものではなく、パン一個に牛乳一合だけのものですが、当時としては先進的な取り組みだったのです。
 昭和45年2月27日付け十勝日報によれば、新年度園児募集の時期を従前の2月ではなく、前の年の11月にしたことによって、ほとんどの幼稚園は2月には定員を確保しており“狭き門”のイメージは払しょくされたと書いています。但し、この時点で開園2年目の葵南幼稚園は募集目標80人に対して33人の応募です。結果、この年の葵南幼稚園の総園児数は60人だったのです。前年度は35人ですから、厳しい運営状況が手に取るように分かります。


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