学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎
第8楽章 ー日本・北海道の幼稚園はー
ここまで帯広の幼稚園の流れを見てきました。話を昭和40年代に進める前に、日本・北海道の流れも書き留めておきます。 日本初の幼稚園は、明治9年に創設された「東京女子師範学校附属幼稚園」だと"言われています。" "言われています"としたのは、その前に幼稚園的な施設が横浜や京都にあったことから、断定的に言い切れない要素があるからです。中には1年余りで閉鎖したものもあります。このことから総じていえることは、日本初の幼稚園は、現在の「お茶の水女子大学附属幼稚園」の前身、「東京女子師範学校附属幼稚園」であると言い切って間違いないと考えます。 それでは北海道で初めての幼稚園はというと、それは明治16年11月1日、函館師範学校附属小学校の中に仮設ではありますが幼稚園を開園しています(『函館師範学校第一年俸』)。仮幼稚園としての位置付けとなっていますが、初年度25名の子どもたちが通っています。しかし、この小学校は明治20年4月に廃校になり、同時に幼稚園も廃園になりました。ちなみに明治16年の帯広は、依田勉三らの開拓団「晩成社」一行27人がオベリベリに到着した年ですので、帯広が幼児教育がどうのこうのと言える状況ではありませんでした。 さて、函館では明治20年6月、旧北海道師範学校函館分校長だった素木岫雲が、附属小学校の跡地に私立函館学校を開校し、校内に私立函館幼稚園を開設しています。札幌では明治21年8月、公立の創成小学校に附属幼稚園を設置しています。建坪29坪でしたが、40人余りの子どもたちが通ったとの記録があります。
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『双葉幼稚園』園舎 (画:菅野孝雄) |
帯広は、明治28年に聖公会の伝道師として帯広に着任した大井浅吉が、明治44年に開設した「双葉園」は帯広最初の幼稚園となります。第1回入園児は40名でしたが、平成25年3月、残念ながら100回目の卒園式で卒園児2名を送りだし101年の歴史に幕を下ろしたのでした。 時代の流れとはいえ、5,000人になんなんとする卒園児を数える双葉幼稚園の功績は永遠に称えられなければなりません。 |
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