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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第30楽章 ―町立幕別幼稚園の誕生―

 「葵の幼児教育50年の道」は、昭和39年の葵幼稚舎から始まる足跡を様々な資料を基に書き記しています。初めて知ることも当然あります。

  昭和52年、幕別町に源照学園(現葵学園)が幼稚園をつくろうとしましたが実現できなかったことはその一つです。

 すでに第29楽章で述べていますが、この幻の幼稚園建設は少なからず幕別町にご迷惑をしたものと理解しています。それは、十勝民報、十勝日報等の見出しを時系列に並べてみただけで分かります。

○昭和52年1月12日 幕別町に初の幼稚園 四月十六日仮開園                         
            源照学園幕別葵幼稚園四、五歳児全員収容
             (十勝民報)
○昭和52年3月4日  幕別葵幼稚園建設大幅に遅れ 園児、帯広へ通園
            町民の批判高まる(十勝日報)
○昭和52年4月6日  幕別葵幼稚園開設、大幅に遅延か
            町が「一時待った」 幼稚園の町立運営検討
             (十勝日報)
●昭和53年4月12日 幕別幼稚園、設置認可
            幼児待つ父母にも春″(十勝ファミリー)

 このことから読み取れることは、源照学園は、当然ですが幕別町とも調整し私立の幼稚園をつくろうとしたが、諸般の事情により建設に至ることができなかったのです。

 当然ですが、町の中は混乱します。その混乱を受けて町は公立の幼稚園をつくることとし、四歳児50人、五歳児70人の四クラスで昭和53年から開園することになったのです。

  町民にとっては一年遅れの幼稚園となった訳ですが、この遅れの原因は源照学園の事前準備の甘さにあったのです。学園は、葵の幼児の足跡にしっかりと刻むことで、心からお詫びしなければなりません。誠に申し訳ございませんでした。

 ちなみに、この年の4月、清水町立幼稚園が開園しています。

昭和53年4月12日 十勝ファミリーより


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