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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第29楽章 ―幕別葵幼稚園を断念―

 今一度、昭和51年と52年の帯広市周辺の教育環境を箇条書き的に振り返ってみます。

 昭和51年11月、葵南幼稚園の定員増の申請が認められ、これまでの140人から190人になりました。51年の園児数は185名で前年比44名増です。この傾向はほとんどの幼稚園見られます。よって、幼稚園の増築はもちろん新しい幼稚園の設置も目立つことになります。それを証明するかのように、北海道私立幼稚園振興会のこの年に発足しています。

 昭和52年3月、葵幼稚園は582uの大幅な増築をしています。それは、中期的な見通しに基づくものでしたが、未来の幼稚園づくりの一環としてこの年に葵幼稚園は障がいを持つ園児を11人受け入れています。

 さて、良いことばかりではありません。昭和52年1月13日付けの十勝日報は、葵幼稚園、葵南幼稚園の経営母体である帯広源照学園が、幕別町に新しい幼稚園をつくり4月16日の仮開園をめざすと報道しています。

  その内容は、当時幕別町の札内地区には幼稚園があるが、本町にはなく定員120名の幼稚園をつくるという計画です。場所は、文教地区である緑町にある幕別中学校の横です。そこに、670u規模の園舎を7月完成予定で建設するというものでした。当然、4月には間に合いませんから、それまでは町の青少年会館を借り園舎として使用することにしていました。

 また、当時の理事長は4才児、5才児の希望者の全員受入れを町と約束し、かつ、近畿大学の通信教育部を併設して農村婦人が家政学や保育学が学べるようにすることを公にしています。幕別町は大歓迎します。

 しかしこの計画は、当初の土地買収が遅れます。これでは幼稚園の設置許可が下りません。当然、様々な問題を引き起こすことになります。

  幕別町は、4月開園を見込んで町の広報誌などを利用し園児の募集は始めていました。1年保育22名、1年保育14名の計36名は受付を終わっています。にもかかわらず、開園の認可が下りていませんから、仮の施設として予定していた町の青少年会館の使用は無理となります。 そこで学園は、当分の間帯広市にある葵幼稚園への通園を検討します。父母の間からは、バスで20分以上かかることへの不満が出てきます。話がまとまりません。その結果、学園は「幕別葵幼稚園」の設置を断念することになります。

 幕別町の皆さんには大変な迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。

昭和52年3月4日(金) 十勝日報より


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