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      生きる力を身につけたたくましい子供を育てる

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学校法人帯広葵学園 理事長 上野敏郎  

第27楽章 ―幼児教育とまちの動き―

 昭和50年と51年の出来事で記録に残しておきたいことがあります。それは、双葉幼稚園と現在の帯西幼稚園の動きです。

 昭和50年9月、子どもたちに創造の喜びを知ってもらおうと双葉幼稚園の保護者である小林誠一郎さんが、三百万をかけて陶芸用の窯場を同園にプレゼントしました。小林さんの周囲には、設計、工事、粘土のこね方等々を得意とする仲の良い友だちがたくさんいました。この友だちが窯場づくりに協力して実現したのでした。

 窯の名前は「梅檀窯(せんだんがま)」です。なんとも難しい名前ですがこんな意味があるのだそうです。

 当時の臼田園長はこう説明します。
「栴(せん)檀は双葉より芳(かん)ばし」とした諺にちなんで「栴檀窯(せんだんがま)」としたと。これでも分かりにくいので、この諺の意味を紹介します。

 栴檀(せんだん)とは、ビャクダンの別の呼び方です。ビャクダンは熱帯性の高い木で常緑樹です。芽を出した時からのさわやかな甘い香りが特長です。それで諺の意味ですが「檀栴(せんだん=ビャクダン)は、芽を出したころからよい香りがあるように、大成する人は、幼いときから人並みはずれて優れたところがあるものだ―の例えとなります。

 直感的には、幼稚園を子どもたちが初めて経験する幼児教育の場と考えるとき多少の違和感も覚えますが、十勝で初めての幼稚園としてこの地域の幼児教育をリードしてきた誇りのようなものを感じ取ることができるのです。

 もう一つの話です。
 昭和51年に新しい幼稚園が西帯広地区、実際には今のニュータウンの中ですが建設が始まります。当時の新聞を見ると、地区住民からは署名等での要望が強く打ち出されての幼稚園建設ですが、行政手続きに少し手間取ったとの印象を受けます。『市では「西帯広地区には幼稚園は一カ所もないが、位置的にはどうも…」〈庶務課〉というものの〜』とのコメントがあります。

 この動きを見るに、一定の規則に寄れば手続き上再考すべき点があるように見えますが、新しい幼稚園の設置を求める保護者の声はそれを上回るものがあったとなります。激しい入園争い?の緩和策は必要だったのです。

 当時の帯広源照学園、現在の帯広葵学園はそれから15年後の平成2年に葵西幼稚園を西25条につくります。現在のつつじヶ丘幼稚園です。もし、帯西幼稚園が現在地での建設でなかったらつつじヶ丘幼稚園はどうなっていただろうかとも思うところです。

 いずれにしても、昭和50年、51年の時代は『少子化』は話題にも上らなかったのでした。

「梅檀窯(せんだんがま)」の写真


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